✦ 本日のテーマ
できるはずだと信じ続けた10年に、いま、名前をつける。
✦ はじまりの問い
なぜ今、“思考堂”という場を自分の手で始めようと思ったのか?
その問いに、ようやく言葉が追いついてきた気がする。
✦ ストーリー(体験)
静かな決意と、10年の時間
私はずっと、「私はできるはずだ」と、
根拠もなく、でも確信のように信じていた。
たとえ形にならなくても、言葉が詰まってしまっても。
誰かに認めてほしいわけじゃない。
ただ、「考え続けている自分」を裏切りたくなかった。
でも現実は、うまくいかない日々の連続だった。
気づけば、ノートやメモ、心の記録が断片のまま積み重なって10年。完成しない何かを抱えながら、私は考えることだけはやめなかった。
その「やめなかったこと」が、いま、“思考堂”という名前を選ぶ私をつくってくれた。
✦ 思考の構造(メタ視点)
思考の構造と誤解
かつて私はこう思っていた。
「まとめなければ意味がない」
「形にできなければ、それは思考とは呼べない」
でも今ならわかる。問いが答えにたどり着かなくても、
「私はいま、ここを考えている」と言葉にすることだけで、
思考は呼吸のように、続いていけるということ。
思考とは、“結論”ではなく、“姿勢”だった。
そして「形にならなかった時間」もまた、ちゃんと生きていた証だったのだと。
✦ 新しい意味づけ(リフレーミング)
この場所は、“始める”ことが目的ではない。
これは、“考え続けてきた私”への敬意として場所を与えるという行為。
だから思考堂は、成果の展示室ではなく、「問いとともに在ること」を肯定する場所。
歩いてきた過去の私が、少しだけ報われるように。
✦ 核となる声
思考をやめなかったこと。
それは、ひとつの才能だった。
✦ 過去の私への手紙
いま、私は再び「できるはず」と思っている。
でもその“できる”は、何を意味しているの?何を託して、そう信じているの?
たぶん私は、“思考を続けていた日々”を無駄にしたくないんだ。それが、いま“思考堂”という名に込めた願いの正体。
✦ 問いのかけら
いま「できるはず」と思っているものに、私は何を託している?
✦ 思考の往復書簡
2つの思考や状態の比較
考えていた時間 | 動き出した時間 |
まだ形にならない思考や感情を抱えた時間 | 名前や言葉を与えて、外に出したこと |
もどかしさ・混乱・孤独を抱えながら続けた模索 | 整理し、可視化し、伝えようとした始まり |
誰にも見せられないまま、積み重なっていった日々 | 「思考堂」という名前を通して、発信という形にした |