#T_03|ギャンブルに救われた一瞬と空虚

✦ 本日のテーマ

ギャンブルに救われた一瞬と空虚。
快楽と孤独、情動とわたしの関係。

 

✦ はじまりの問い

なぜ私は、スロットの前に立つと、少しだけ安心できたのだろう。
あの頃は言葉にできなかったその理由を、いまなら静かに見つめ直せる気がしている。

 

✦ ストーリー(体験)

快楽と孤独、情動とわたしの関係

心がどこかに置いていかれたような日々だった。
やるべきことはあるのに、どこか空っぽで、時間だけが淡々と過ぎていく。
そんな日常から逃げたくて、向かったはスロットだった。

レバーを押すたびに、自分で選んでいるという感覚があった。
音と光の中で、誰にも邪魔されず、ただ目の前のリールに没頭する。
そこには、「自分自身で決定している感覚」と「没頭できる時間」があった。

お金を入れるたびに、少しの興奮と、ふとした虚しさが交差する。
そのギャップに、非日常を感じていた。

実際、スロット中の興奮は思ったほどではない。
けれど、退屈さは確実に消えていた。
リールに意識が引き込まれ、気づけば時間があっという間に溶けていた。

何かに没頭する感覚を通して、無感覚な日常からほんの少しだけ抜け出したかった。
だから私は、またそこへ向かっていた。

 

✦ 思考の構造(メタ視点)

あの頃の私は、自分の特性も感情もわからず、内省する術も持っていなかった。
ただ日常が退屈で、心が鈍っていくことに焦りだけが募っていた。
何をどうしていいかもわからず、持て余した好奇心とエネルギーは、激しい情動を味わえるものへと向かった。

私にとって、恋愛もギャンブルもよく似ていた。
どちらも、一瞬で感情を揺らし、自分が“生きている”ことを感じさせてくれる手段だった。

ギャンブル依存というよりも、「何かを感じたかった」だけ。
感情を取り戻すために、私はあの場所に通っていたのだと思う。

そして今になって思うのは、スロット中よりも、「行こうか」と考えているその前の時間の方が、実は一番ワクワクしていたということ。 つまり、情動の波はすでに入り口で始まっていた。
その波に気づけるようになった今、立ち止まることができるようになった。

 

✦ 新しい意味づけ(リフレーミング)

あの時間を、ただの「逃避」や「無駄」とは呼びたくない。
感じたかったのは「興奮」ではなく、「実感」だった。
虚しさも、没頭も、感じようとした結果だと思う。
私は「刺激」ではなく、「感じられる自分」を確かめたかったのだ。
今なら、感情の波に身を任せすぎずに、その輪郭に触れるような向き合い方ができる。

思考堂は、そうやって感情と対話する場所。
ただ感じたいだけだった自分を否定せずに置いておける場所だと、今は思える。

 

✦ 核となる声

逃げたんじゃない。
私はただ、自分の選んだものに没頭し、
生きている実感を確かめたかったんだ。

 

✦ 過去の私への手紙

あの一瞬、退屈から逃れることで救われたのは確かだった。
光と音の中で、私は「生きてる気がする」と思えた。

でも今は、情動の波がきたときに間を置く。「それが本当に必要か?」自分に問えるようになった。
あの時の私も、いまの私もどちらもわたし。
ただ、感じ方と向き合い方が変わっただけ。

 

✦ 問いのかけら

私は何を「感じたくて」、あの場所に立っていたのだろう?
今、別の形でその感情に触れる方法はあるだろうか?

 

✦ 思考の往復書簡

2つの思考や状態の比較

考えていた時間動き出した時間
スロットに没頭し、退屈を忘れていた時間

感情の波に気づき、間を置く時間

レバーを押すたびに、 自分の存在を確かめていた

「本当にそれが必要か」を自分に問える

情動のギャップにすがっていた

静かに向き合うことで、 日常の中に豊かさがあることを知った