✦ 本日のテーマ
すれ違っているのは、私じゃなくて会話の前提。
✦ はじまりの問い
「相談して決めよう」と言ったのに、どうしてはぐらかすの?
✦ ストーリー(体験)
「そんなに気にしなくていいよ」
「肩の力を抜いて、ゆっくり行こう」
「大丈夫、大丈夫」。
──今日、職場でかけられた言葉たち。
……でも、プロジェクトのサブリーダーに任命したのはそちらですよね?
何をするのか、どこまでやるのかも知らされないまま、
別の人からは「仕事は自分で取りに行かなきゃ」と背中を押される。
私の問いは、見事にすれ違ったまま。
情報を取りに行こうにも「地図」がない。
遭難しかけの私に「ゆっくりでいい」と言われても、
何を・どこで・誰と? 脳内は常時砂嵐だ。
困って状況を尋ねると、なぜか始まる性格診断。
「真面目すぎるんじゃない?」
「完璧じゃなくていいよ」
「責任感が強すぎるんだって」
……ちょっと待って。私はただ、まともに仕事を進めたいだけ。
知りたいのは「感じ方」じゃなく「体制」だ。
✦ 思考の構造(メタ視点)
- 状況の混乱を個人の性格にすり替えると、問題の本質が見えなくなる。
- 自分から仕事を取りに行く。という美辞麗句が、実は責任放棄の言い換えになっていないか。
- “感じ方の問題”にされた瞬間、構造の欠陥は放置される。
✦ 新しい意味づけ(リフレーミング)
この違和感の根は、私の性格ではなく、対話が成立しない組織構造にある。
「相談して決めよう」と言いながら、核心の質問に答えないのは、責任の輪郭を曖昧にしたまま“雰囲気”でごまかしている状態かもしれない。
✦ 核となる声
私はただ、本質に向き合い、誠実に働きたいだけ。
だから――答えると約束したなら、きちんと答えてほしい。
論点を逸らさず、処理してほしい。
✦ 問いのかけら
- なぜ“構造の問題”が“人の性格”へとすり替えられるのか?
- 「任命」は、どこまでの責任範囲を含むのか?
- 「自走せよ」と「放置」の境界線は、どこに引かれるべきか?
✦ 思考の往復書簡
この状況が教えてくれたこと
- 正しさだけでは、組織は動かない。
漠然とした意志があっても、責任と方向が交わらなければ、物事は前に進まない。 - 意志が交わらない場では、関わり方を変えるしかない。
誰もが思いを持っていても、それが噛み合わなければ、努力はすれ違うだけになる。 - 本質を追うには、仕組みと信頼が必要だ。
本気で向き合おうとする姿勢ほど、環境の在り方に左右される。 - そして、関われなかったことからも学べる。
ここでは、本質よりも「空気」と「関係性」が優先される。
その空気が澱めば、誰も動き出そうとはしない。
そもそも、本質を追求できるかどうかは、
組織に「目的」と「対話」があるかにかかっているように感じる。
目的が曖昧で、対話が避けられる環境では、人は価値ではなく空気を読む。
学びは、前進のなかだけにあるのではない。
停滞からも、後退からも、生まれる。
そしてその時こそ、「義を見てせざるは、勇なきなり」かどうか、
自分に問い返す瞬間でもある。