✦ 本日のテーマ
自分を活かすつもりが、自分を削る仕事になっていた。
✦ はじまりの問い
事業部長として任されたのに、なぜ私は「利用されている」と感じてしまうの?
✦ ストーリー(体験)
どうしても仕事が嫌だ──朝からそう思う。
なぜこんなに辛いのか、何が嫌なのかを何度も問い直してみるけれど、
そのたびに、堂々巡りの反芻思考に巻き込まれる。
「こう上司に相談しよう」「あぁ言えばいいかもしれない」
そうやって準備するけれど、いざ対話になればかわされるか、ねじ曲げられるか。
この上司から学べることがあるとしたら、
──それは「人のやる気をどう削ぐか」くらい。
唯一、仕事のスピード感だけは参考になる。
でも、それも自分にとっての“糧”というより“プレッシャー”としてのしかかる。
そもそも事業責任者として任命されたはずだった。でも、その言葉は今となってはただの飾りだったのか?
責任だけはこちらに寄越し、裁量も判断も与えられず、気づけば“利用されるだけの私”が残っていた。
事業を成長させたい、自分の力を発揮したい──
そんな思いがあったから、期待されたことにも応えようとした。
でも、これは“期待”ではなく“搾取”だったのかもしれない。
✦ 思考の構造(メタ視点)
「任命」と「任せる」は似て非なるもの。
役職を与えられても、権限や裁量が伴わなければ、それは責任のなすりつけになる。
また、成長意欲を持つ人ほど、責任感につけ込まれやすい。
“力を発揮させてくれる”ように見せかけて、
実際は“都合よく動いてくれる”人材として扱われていないか。
✦ 新しい意味づけ(リフレーミング)
この違和感は、私のわがままなんかじゃない。
私は、それぞれの強みを活かしながら、あるべき姿に向かって進みたいだけ。
けれど、上長は“地図を持たない強いリーダーシップ”を掲げ、方向性もチームの配置も示さない。
方針は別の人と話し合い、私には断片的な指示だけが降りてくる。
何を目指すのかも分からないまま、「任せた」という言葉だけが残る。
組織は立ちすくみ、私は動けるはずの力を発揮できず、閉じ込められていく。
進みたいのに、進ませてもらえない。
その構造が、人の意欲を静かに削っていく。
✦ 核となる声
私は、ただ、きちんと仕事がしたかった。
責任を引き受けるなら、そのぶん裁量もほしかった。
職位やお給料といった外側の条件よりも、限られた時間を、意味のある仕事や人との関わりに使いたい。
価値ある時間を分かち合うことが、きっと次の世代への贈りものになると思うから。
だからこそ、職場には、安心して声を出せる関係性と、信頼できる仕組みが必要だと思っている。
✦ 問いのかけら
・「任命」と「信頼」の違いとは?
・なぜ責任だけを押しつけられる構造が生まれるのか?
・利用される関係と、活かされる関係の分岐点はどこ?
✦ 思考の往復書簡
“やる気”がある人ほど、組織の中で「都合よく」扱われやすい。責任を取る気がない人ほど、言葉では任せるふりをして逃げ道をつくる。
そして、そうした構造は「気づかせないまま進める」のが巧妙だ。
だから、違和感に気づけたこと自体が、第一歩だ!
事業責任者という名前に込めたかった想いがあった。でも、それがすり減っていく今、もう一度問い直したい。
「私は、何のためにここにいるのか?」
──そうやって、自分を取り戻すための問いこそが、「嫌だ」という気持ちの奥に眠っている。嫌だと思える感覚こそ、わたしの誠実さだ。